2021年4月18日日曜日

天井川の山吹

玉川のヤマブキ
JR奈良線で井手町付近を走っていると、山際でもないのにトンネルに入ることがある。Googleマップを見ると川を渡ったことになっている。これは天井川で、川床が周囲の平地面より高くなっており、鉄道は川の下をくぐっているのである。この天井川と鉄道の交差点をじっくり味わいたいがために玉水駅に向かう。
岩倉川の桜と山藤
玉水で食事ができるか不安だったので京都駅で弁当を購入。下車後に食べるつもりだったが、乗ろうと思っていた快速が運休したので待つあいだに食べることに。
京都駅 はつだ和牛弁当
30分後の快速に乗車し、玉水駅に到着。
JR奈良線 玉水駅
駅からも玉川の天井川トンネルが見える。が、その前に井手の里を観光する。
JR奈良線 玉水駅
井手は万葉の昔から「蛙の名所」で、蛙に関する和歌が83首も残る。「あしびきの 山吹の花 散りにけり 井でのかわつは 今や鳴くらむ」と詠んだのは三十六歌仙の一人、藤原興風。
蛙塚(かわづつか)
蛙塚(かわづつか)
井手寺(井堤寺)は奈良時代に橘諸兄(たちばなのもろえ)が氏寺として建立したと伝わる。
井手寺(井堤寺)跡
レンゲ
玉津岡神社の参道階段をのぼる。
玉津岡神社参道
玉津岡神社参道 ヤマブキ
玉津岡神社の手前にある地蔵院。
地藏院
「地蔵禅院のしだれ桜」は京都円山公園のしだれ桜の兄弟木。井手の里が一望できる抜群のロケーション。
「地蔵禅院のしだれ桜」
地藏院 井手の里が一望
地藏院 シロヤマブキ
玉津岡神社の起源は飛鳥時代より前とされる。
玉津岡神社 手水舎
玉津岡神社 舞台
玉津岡神社 本殿
玉津岡神社 稲荷社
参道階段をくだる。
玉津岡神社 参道
六歌仙の一人小野小町の墓や塚は全国にあるが、井堤寺で亡くなったという伝承もある。「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井出のわたりの 山吹の花」と井手を詠んだ歌を残している。
小野小町塚
玉川の上流へ。駒岩の左馬はもともと絵馬として刻まれたが、よく見られる絵馬とは馬の向きが逆だったことから、「左馬」として女芸上達を願う人々の信仰を集めるようになった。左馬が刻まれた大岩は玉川左岸の山腹にあったが、昭和28年(1953年)の南山城水害で川際まで転がり落ち、彫刻部分が下側になってしまった。
駒岩の左馬
玉川沿いを下流に向かって歩く。
ナヨクサフジ
玉川のヤマブキ
玉川のヤマブキ
玉川を離れて竹林をのぼる。
弥勒石仏への道
弥勒石仏は大岩に3体の仏が線刻されている。奈良時代の橘諸兄の頃のものと伝わるが、いちばん新しいものは江戸時代の可能性が高いとされる。
弥勒石仏
弥勒石仏
橘諸兄公旧跡への道
橘諸兄は奈良時代に井手を本拠に左大臣まで昇り政権を執った。万葉集の撰者の一人ともされている。
橘諸兄公旧跡
井手火山灰層
蛙とともに多くの和歌に詠まれる玉川のヤマブキは橘諸兄が好み植えたとされる。
玉川のヤマブキ
玉川
玉川の桜
玉川のシャガ
玉川
玉川の白菖蒲
玉川の山藤
玉川のヤマブキ
ようやく旅の目的だった天井川とJR奈良線の交差部に到着。川の下を鉄道が走る不思議な光景。
玉川跨線橋
JR奈良線は6箇所で天井川と交差する。この区間が開業した1896年(明治29年)は蒸気機関車の時代。線路を平坦にすることを優先して川の下を通したのだと推察される。
玉川跨線橋
井堤荼靡故址碑
京都駅で夕食をとって帰宅。
はしたて 若竹煮麺
はしたて 和牛ローストビーフ丼

プロフィール

自分の写真
京都は東山出身。現在は洛北在住。公共交通機関とレンタカーを駆使してあちこち旅します。野球は広島東洋カープ、サッカーは松本山雅、スタジアムに応援に行っています。