2021年2月21日日曜日

大人の修学旅行⑤(小関越え)

琵琶湖疏水 第1トンネル西口
琵琶湖疏水を学び直す「大人の修学旅行」。
では琵琶湖疏水記念館で事前学習。
ではびわ湖疏水船で蹴上から大津への船旅。
では疏水分線と鴨東運河。
では四ノ宮船溜りから第三トンネルまでの山科疏水。
最後の仕上げとして、大津から山科への山越えの部分を歩くことに。
叡山電車、京阪鴨東線、京都市営地下鉄東西線、京阪京津線と乗り継いで大津方面へ向かう。
叡山電鉄岩倉駅 展望列車「きらら」
京津線に乗って、大津の手前、逢坂関があった大谷駅で途中下車。
京阪京津線大谷駅
大谷駅は40パーミルの勾配上にあり、「日本一急勾配にある普通鉄道の駅」とされる。そのため、ベンチの足の長さが違う。
京阪京津線大谷駅 足の長さが異なるベンチ
大谷駅に降り立つと鰻を焼く匂いが鼻をくすぐる。
逢坂山かねよ
「かねよ」は明治時代から続く鰻屋。名物が、鰻丼に金糸玉子ではなく出汁巻を丸ごと乗せた「きんし丼」。
逢坂山かねよ きんし丼誕生秘話
逢坂山かねよ 桜茶
逢坂山かねよ 庭園
逢坂山かねよ 箸置き
鯉料理も名物。新鮮ゆえに「洗い」ではなく「さしみ」で供される。
逢坂山かねよ 鯉さしみ
逢坂山かねよ 鯉こく
お待ちかねのきんし丼。
逢坂山かねよ きんし丼
逢坂山かねよ 庭園
逢坂山かねよ 庭園
蝉丸神社は百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の首でおなじみの蝉丸を祀る神社。
蝉丸神社
蝉丸神社 拝殿
蝉丸神社 皇大神宮社
蝉丸神社 本殿
1880年から新逢坂山トンネルが開通する1921年まで使用された官営鉄道東海道線の旧逢坂山トンネル。西側(京都側)は埋められ、石碑だけが残る。
東海道線逢坂山トンネル跡
鉄道開通以前のように、徒歩で東海道 逢坂の関を越える。
逢坂山関址
逢坂常夜燈
逢坂山弘法大師堂
関蝉丸神社上社
関蝉丸神社上社
関蝉丸神社上社
京津線はトンネルではなく地上から逢坂山を超える。その最大斜度は61‰。
京阪京津線 41.3パーミルの勾配上にある踏切
先ほどの官営鉄道旧逢坂山トンネルの東側は遺構が残る。初めて日本人技術者だけで造ったトンネルとされる。
旧逢坂山隧道東口
旧逢坂山隧道東口
旧逢坂山隧道東口
近松寺本堂
近松寺阿弥陀堂(善光寺如来堂)
慶祚大阿闍梨入定窟
慶祚大阿闍梨入定窟
逢坂関を越え、近江にたどり着いたところだが、すぐに京に引き返す。帰り道は小関峠を越える小関越え。逢坂関(大関)に対して小関。西国三十三所の第十四番札所の三井寺から第十五番札所の今熊野観音寺へと続く巡礼道だった。
小関越道標
小関越道標
小関越道標の案内板
小関峠地蔵
琵琶湖疏水開削でとくに難関とされたのが、大津から山科に抜けるトンネル工事。そこで、山中に竪坑(シャフト)を掘って、山の外側と内側の両方から掘り進める工法が日本で初めて採用された。
琵琶湖疏水 第一竪坑
第二竪坑は空気の取り入れと採光を目的とした。
琵琶湖疏水 第二竪坑
大津から山科まで、2.4kmに及ぶ第一トンネルの出口。ここから山科疏水を歩く。
琵琶湖疏水 第1トンネル西口
当時の石積みとレンガが残る藤尾橋。
藤尾橋
疏水を少しそれて、JRの跨線橋に登る。湖西線では営業運転しない小浜線用の車両に出くわす。
湖西線を走る小浜線用の125系電車
東海道本線は新逢坂山トンネル、湖西線は長等山トンネルへと向かう。
藤尾跨線橋
藤尾川
再び疏水沿いを歩き、大人の修学旅行④のスタート地点である四ノ宮船溜りに到着。
諸羽トンネル
疏水に別れを告げる。
いずみ幼稚園前の梅
いずみ幼稚園前の梅
旧東海道を京方面へ。
徳林庵(山科地蔵) 地蔵堂
徳林庵(山科地蔵) 牛馬水吞所
諸羽神社 一の鳥居
山科駅から京阪京津線に乗って帰路につく。

プロフィール

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京都は東山出身。現在は洛北在住。公共交通機関とレンタカーを駆使してあちこち旅します。野球は広島東洋カープ、サッカーは松本山雅、スタジアムに応援に行っています。